登入サラリアの国では、金色の髪は五穀豊穣を司る神の化身とされていた。
滅多に生まれない神聖な色である金。その金色を持つサラリアが自分の血から生まれたことに、ただ王の血を次代に継ぐしか能がないと言われていた父王は有頂天になった。
「金色姫さえいれば安泰だ!」
政など何一つ理解していない男だった。
現状で民が苦しんでいても何をするわけではなく、神話めいた存在であるサラリアを崇めることしかしなかった。
ただ金色の髪の子は神の化身。害す者には神罰が下るという教えは民衆にも浸透していたため、父王がどれほど愚かでもサラリアの存在で誰も手を出せなかった。
だから父王はサラリアを常にそばに置いていた。
愛情ではない。
父王にとってサラリアは身を守る護符。
だから父王はサラリアに『城にいる』以外を望まなかった。「何もしなくていい」「そこにいてくれればいい」と幼い頃から何度も言われた。サラリアにとってそれは、自分はただの飾りだと言われているのと同じだった。
父王は無能だから、その発言が深く考えてたものではないことはサラリアにも分かっている。
ただ王であるためその言葉は絶対―――誰もサラリアに何もしなかった。
愛情を与えることはもちろん、王女であるのに誰もサラリアに教育を施さなかった。礼儀作法も、政治も、歴史も、読み書きすらまともに教えてもらえなかった。
城にいるため衣食住だけは与えられたが、ただ生かされるだけの存在だった。
幸いなことに、父王のそれは悪意ある政略ではなかったことだ。
わざとサラリアに知識を与えず、国から逃がさないようにしたわけではない。ただ単純に側においておくこと以外は無関心だっただけ。
実際に父王はサラリアの教育は母のナタリアがやっていると思っていたようだ。子どもの教育は母親の役目だから。 父王はナタリアが死んだことすら忘れていた。
幼いうちにその異常に気づいたことは幸いだった。
サラリアは「幼いから」の言い訳が通じなくなる前に自分でどうにかしなければいけないと察した。
だから父王に「学びたい」と
案の定なにも考えていなかった父王は「おお、そうか」と簡単に許可したが、誰かが父王に進言したらしく教育係は付けてもらえず、本だけが与えられた。
人をそばにおいて金色姫に余計な思想を植え付けられては困る。そんな理由だったに違いない。 同じ理由でサラリアの侍女も頻繁かつ不定期に変更された。
そのような扱いに対して不遇だと訴えることはできただろうが、ただ生きていればいいだけの第十王女がそう訴えたところで侍女が変わるくらいだっただろう。
置かれた状況が改善されるとは思えなかった。
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何もないサラリアだったが、何もしなくてよかったので時間だけは有り余っていた。
サラリアは後宮を歩き回りながら文字を覚え、使用人の会話で言葉を覚え、壁の装飾や古い絵画を見て少しずつ知識を蓄えていった。
やがて図書館への出入りも許されるとサラリアは貪るように本を読んだ。
歴史。地理。他国。神話。政治。 本を読むたびにサラリアの世界は広がり、サラリアは世界が驚くほど広いことを知った。
そして世界を知るほど、自分が人間として扱われていないことを知った。
知恵をもつ必要はない。
意思をもつ必要はない。
ただ存在してさえいればいい金色姫。
あの国の人たちにとってサラリアは人間ではなく『幸運を呼ぶ置物』でしかなかった。
だからサラリアは本の世界に没頭し、現実では何も知らないふりをすることに決めた。
愚かな金色姫を演じ、笑って、従って、閉じ込められたまま生きる。
そうしている限り死ぬことはないと思った。
生き延びるために身につけた諦観は、いつしかサラリアの骨の髄まで染みついていた。
·
(諦めぐせがついていたのね)
塔に閉じ込められている現状は王女だった頃とよく似ているとサラリアには思った。
清潔な部屋で飢えることはない生活。だが自由はなく、見聞きするものも選べない。未来を選ぶための選択肢を与えられず、ただ生きているだけの存在。
最初こそここを出ようとしていたのに、今ではすっかりと諦めてしまった。
簡単に諦められるくらい、サラリアは不自由に慣れていた。
サラリアは生まれた時からずっと
(それに気づくまでに三ヶ月……我ながら鈍すぎるわ)
複数の足音が近づいてきた。身構えるサラリアの視線の先で扉がゆっくりと開く。入ってきたのは四人の男たちだった。前に二人、後ろに二人。 自然と立ち位置に上下関係が見える。 後ろの二人は護衛のように前二人に従っていた。(大袈裟ね)飛んで逃げる翼もない人族の、しかも非力な女一人に対して竜族の屈強な男が四人もいる。サラリアは皮肉げに口元を緩めた。.「オーレリウス・ウィンドスケイルです。ご同行ください」前に立つ二人のうちの一人が胸へ手を当てて敬礼し、丁寧に名乗った上で頭を下げた。サラリアは驚いた。(いま『ウィンドスケイル』と……)ウィンドスケイルの名にサラリアは覚えがあった。ドラコニアの貴族名鑑の、ドラコニス王家の次にあった名前。ウィンドスケイル公爵家。サリンドラ家と同様に建国王ドラコニスを支えた騎士の名を持つ、王の剣という名を持つ空戦を得意とする武門の一族。竜族の中でも位が高い一族の男が礼を尽くす対応をした。食事を運ぶ侍女でさえ蔑むような態度をとった。だからオーレリウスと名乗った男の態度にサラリアは戸惑う。サラリアの視線を感じたのかオーレリウスは柔らかく微笑む。(ご当主の年齢とは合わない…… 確か息子が二人いると書かれていたはず)オーレリウスは兄弟の男どちらかだろうとサラリアが考えていると、オーレリウスの隣の男が苛立ったように怒鳴った。「オーレリウス、罪人なんぞに頭を下げるな!」大きな声だった。(単純そう……考えていることが全部口に出るタイプ)オーレリウスを名で呼んだことと叱責できる立場。オーレリウスがウィンドスケイル家の次男で、こちらの男が兄だとサラリアは推察した。(オーレリウス卿よりも騎士っぽいわ)兄弟の髪色は揃いの金茶色だが、オーレリウスが長く伸ばして一つに束ねているのに対して兄のほうは短く刈り込んでいる
「サラ、何をした?」ラーシュの声は静かで、そこにはラーシュが常にサラリアへ向けていた熱も甘さもなかった。あれほど優しく自分を見つめていた藍色の瞳が今は罪人を見定めるように揺れている。そんな氷のように冷たい目をサラリアは初めて向けられた。その視線にサラリアは一瞬だけ息を詰まらせた。本能的に恐怖を感じると同時に深く傷ついた。愛されていた相手から向けられる疑念ほど人を傷つけるものはない。しかしサラリアは後宮で学んでいた。誰も助けてくれない場所では、自分だけは自分を信じなければならない。ここで折れたら終わりだとサラリアは知っていたから、サラリアは震えそうになる指先を握り締めまっすぐラーシュを見返した。「何もしていません」出た声は思ったより冷静で、サラリア自身が驚いた。でもサラリアは本当に何もしていない。何かをしたのはシーラたちのほうだ。冷たい床へ押し倒された感触をサラリアは覚えている。無理やり押さえつけられた腕の力、血を抜かれる痛み、そして身体の奥へ冷たいものが入ってくる不快感―――すべてをサラリアは覚えている。 『これで私が番よ』意識を失う直前に聞いたシーラのあの声だけは異様に鮮明だった。サラリアは覚えている限りを話した。何をされたか。誰がいたか。どんな薬品の匂いがしたか。シーラが何を言ったのか。感情を押さえて淡々と、途中からは自分でも不思議なくらい冷静に話せていた。泣く必要もない。信じてほしいとラーシュに対して縋る気持ちもどこか薄れていた。たぶんラーシュの一言、人族なんかという言葉で理解してしまったのだ。ラーシュにとって自分はもう無価値。だからサラリアは感情を混ぜることなく事実だけを並べた。ラーシュが信じる信じないは別にして、知らないことのはラーシュに対してフェアではないから話し続けた。説明義務を果たせば全
目を覚ましたとき、サラリアがまず感じたのは金属が錆びたときのような臭いだった。ぼんやりした頭で体を起こし、ようやく自分が床に倒れていたことに気づいた。そのくらい、何が起きたのか理解できていなかった。顔にかかる髪を退けようとして、手のひらについた血に気づいた。真っ赤な血に対する反射的な恐怖心で動いたとき足が何かを蹴った。からんと金属音が響いた。視線をそちらに向けると短剣が床に転がっていた。その刃には血がべったりと付着していた。サラリアは一瞬呼吸が止まったが、視線はゆっくりと動いていた。「ひっ」血まみれのシーラが立っているのが見えた。白いドレスが赤く染まり一部は黒くなってもいたけれど、シーラは満足気だった。「お嬢様、異常はありませんか」そう問い掛けたのはサリンドラ家の魔法師だと紹介された男の一人だった。「気に入らない臭いだけど我慢するしかないわね。そろそろラーシュが戻る頃よ、急いで去りなさい」シーラの命令に従い、彼らはどこかへと消えていった。サラリアの頭は真っ白で、何があったのかは分からないが、シーラと二人きりという状況には怖さしかなかった。なにが。どうして。サラリアが混乱していると、「予定通りね」とシーラは小さく呟いた。何が予定通りなのか。サラリアがそう思った瞬間だった。バタバタと激しい足音が聞こえたと思った瞬間―――。「いやぁぁぁぁっ!!」シーラが突然、耳をつんざくような悲鳴を上げた。次の瞬間、扉が外から勢いよく開かれる。「サラッ!」ラーシュが部屋へ飛び込んできて、サラリアは反射的にラーシュに手を伸ばした。助けて、そう言いたかった。怖かったのだと、苦しかったのだと、ラーシュに抱き締めてほしかった。安心させてほしかった。けれどラーシュは、サラリアから少し離れたところで止まった。驚いてサラリア
シーラはラーシュの前では可愛らしくて無邪気な姫だった。朗らかに笑い、ラーシュへ甘え、「兄様」と親しげに呼ぶ。幼い頃から大切に守られて育った名門令嬢そのものの彼女は誰が見ても愛らしく、誰からも好かれるような振る舞いをしていた。けれどサラリアには予感があった、シーラは自分を嫌っている。はっきりした根拠があるわけではないから誰にも言えなかったが、後宮という女の園で生きてきたサラリアには憎悪ともいえるその感情が感じ取れた。人は本当に嫌っている相手にほど優しく笑うことがある。そしてその予感は最悪の形で当たった。.その日、ラーシュは王城で開かれる会議へ出席していた。「すぐ戻る」と額への口づけを落として出かけるラーシュを見送ったあと、サラリアはいつものように図書室で本を読んでいた。静かな午後だった。窓の外ではいつも通り竜たちが空を飛び、風は庭で揺れる花の香りを届けてきた。 『シーラ様がいらっしゃいました』だからシーラが突然宮へやってきたときもサラリアは特に警戒しなかった。ラーシュが留守なことを知らずに来たのだろうとしか思わなかった。 『サラリア様に贈り物をお持ちしたのです』シーラはにこやかに笑っていた。彼女の後ろには大きな箱や袋を抱えた者たちが並んでいた。侍女たちかと思ったが纏っている簡素な白い衣からは独特の薬品臭。さらに中には男性の姿もあってサラリアは警戒した。警戒したところでサラリアには何もできなかった。「っ……!」突然腕を掴まれて後ろ手に回され、引き倒されたあとに複数人に押さえ込まれた。「な、何を――!」「ジッとしていなさい」シーラはいつも通り柔らかく微笑んでいたが声は冷え切っていた。サラリアは抵抗したが相手は竜族。力の差が違い過ぎた。「離して」と叫び、足を暴れさせても意味はなかった。彼らは慣れた手つきでサラリアを拘束し衣服を剥
サリンドラ公爵家の令嬢であるシーラが初めて宮殿にやってきた日、サラリアは胸の奥に薄く冷たいものが落ちる感覚を覚えた。理由など説明できない。ただ本能が警鐘を鳴らしていた。目の前に現れたシーラはドラコニアという国に、ラーシュの隣に、あまりにも自然に馴染みすぎていたからだ。シーラは美しかった。銀青色の髪は陽光を浴びると淡く煌めき、透き通るような白い肌には一点の曇りもなく、額に浮かぶ繊細な鱗は芸術品めいていた。竜族特有の細く鋭い瞳孔は宝石のように美しく、見る者に畏怖すら抱かせた。姿勢、微笑み、声色、そのすべてが洗練されていて「理想的な竜人」という概念をそのまま人の形にしたようだった。.竜族の頂点に立つのはドラゴニス王家。ラーシュはその嫡流であり、ドラコニアそのものを象徴する存在だった。建国王ドラコニスは膨大な魔力で地上から大地を切り離し、この天空の浮島を創り上げたと伝えられている。空に浮かぶ王国ドラコニアは竜族の誇りそのものだった。そしてシーラの出身であるサリンドラ公爵家は、初代国王の盟友であった大魔法師サリンドラを祖に持つ名門中の名門。竜族の中でも特に高貴な血を受け継ぐ一族であり王家との繋がりも深い。そんなシーラをラーシュは穏やかな笑みと共に紹介した。「シーラはサリンドラ家の令嬢だが、祖母同士が姉妹で親戚でもある。幼い頃から共に育った幼馴染で、俺にとっては妹のような存在だ」その言葉を聞いた瞬間、サラリアの胸に小さな棘が刺さった。幼馴染という響きが嫌だった。同じ空を飛び、同じ文化の中で育ち、同じ景色を共有してきた者だけが持てる特別な時間を象徴する言葉。それはサラリアには決して踏み込めない領域だった。サラリアは人族で、空を飛べない。ラーシュには人と竜の二つの姿があり、サラリアは竜の部分の感覚を共有できない。でもシーラにはそれができる。シーラはラーシュと同じ場所に立てる存在で、シーラはそれを隠そうともしなかった。「昔、ラーシュ兄様ったら訓練が厳しいから飛んで
ドラコニアに来たばかりの頃の自分を振り返ると、あまりにも非日常的なことに浮かれていたのだと分かる。神話のような風景と「愛している」と言ってくれる美しい男性。自分を大切に抱き締め、欲しいものを与え、笑えば嬉しそうに目を細める優しさも。読書に夢中になれば拗ね、本を閉じれば機嫌を直す可愛らしいところも。毎日のように愛を囁くあの甘い熱も。ラーシュがサラリアに与えてくれたあの全ては、サラリアが彼の番だったからなのだと今ではよく分かっている。.ドラコニアでの生活が長くなると、サラリアには少しずつ現実が見えてきた。 竜族。 誇り高き竜人の国ドラコニア。竜族は優しい種族ではなく排他的で、彼らは自分たちを至高の存在だと思っていた。それ自体は悪いことではないとサラリアは思っている。人族だってそうだ。 自分の国に誇りを持ち、自分の文化を愛する。それは自然な感情であるとサラリアは理解している。(けれど、自分たちを誇ることと他者を見下すことは別だわ)ドラコニアの竜人たちはその境界が曖昧だった。 『人族なんかが竜王陛下の番だなんて』ある日、偶然それを耳にした。使用人たちが仕事の合間にしていた雑談。気が抜けていたのだろうが、だからこそ正直な言葉だった。彼女たちもサラリアが近くにいるとは思わなかったのだろう。その声には露骨な侮蔑が滲んでおり、その音にサラリアは妙に納得してしまった。彼女たちの仕事は正確で丁寧だったが、彼女たちの笑顔の裏には薄い嫌悪があった。それに気づいても何も思わなかったのは、地上の後宮で見慣れていたものだったから。ただ嫌悪の意味ははき違えていた。彼女たちの竜王ラーシュに対する敬愛と思慕から、ぽっと出のサラリアにラーシュを奪われたという嫉妬めいた感情だとサラリアは思っていた。それもあるかもしれないが、根底は違った。それを教えてくれたのは「なんか」という言葉。そこに込められているのは明確な蔑み―――人族なんかが。